駅前の暮らし

系譜を継ぐ邸。記紀の時代から世に知られ、八代将軍徳川吉宗公などを輩出した紀州、和歌山。文化の薫り高い格別のロケーションを得て、城下町ならではの気品と華やぎの系譜を未来へつなぐ憧憬の邸が誕生します。

歴史の栄華を受け継ぐ、邸の本流。

古事記・日本書紀に登場し、その風光明媚が万葉集にも歌われた豊かな風土。

日本の古代国家誕生を神話で伝える古事記や日本書紀にもその名を刻まれ、
奈良時代に入ると天皇の行幸をはじめ多くの人々がこの地を訪れるようになり、
さまざまな歌人が歌に詠んでいます。
古来より信仰の地としても有名な和歌山。その魅力は時を超えて現代まで脈々と
伝わっています。

紀州和歌浦東照大権現祭礼絵巻、大日本六十余州名勝図会

太閤の命で築かれた和歌山城。紀州・徳川家のもと栄華を誇った江戸時代。

1585年、秀吉の命によって和歌山城が築かれます。1619年には秀吉を破った
徳川家から家康の第10子・頼宣が入城。
以来約250年間、和歌山城は徳川御三家のひとつとなって城下は大いに栄え、
江戸後期には人口約9万人を擁する全国有数の近世都市となりました。
この間、第二代紀州藩主・吉宗は、将軍家継が幼くして亡くなると第八代将軍に
就任。享保の改革を実行して幕府財政を立て直し、以後、第十四代将軍家茂まで
江戸幕府の将軍職は吉宗の血筋が継いでいきます。

徳川吉宗像(平成28年5月撮影)、和歌山城(平成28年5月撮影)

築かれた地の記憶を、その姿にとどめて。

明治以降の鉄道開通による発展。そしてJR「和歌山」駅前が地域の中心地に。

明治後半から大正、昭和初期にかけて和歌山市と各地を結ぶ鉄道の建設が相次ぎ、近代の発展を支える礎となりました。
また、同時期に市街電車の路線も次々と整備され、市内各所に賑わいを生み出します。高度経済成長がピークを迎えようとしていた1968年には国鉄(現・JR)の東和歌山駅が和歌山駅と改称され、
和歌山ステーションビルが完成。
JR「和歌山」駅と和歌山城を結ぶメインストリート・けやき大通りの拡幅や整備も進められ、
文字どおり和歌山の中心地として発展を遂げていきます。

東和歌山駅(和歌山市立博物館 所蔵)

都心を彩る駅ビル・近鉄百貨店。人々に愛され親しまれた近鉄会館跡地に誕生。

近鉄会館は、かつて和歌山近鉄百貨店として親しまれ、1987年に同百貨店が和歌山ターミナルビルへ移転したあとは、ビル2階でカルチャーセンターが開講されていました。
近鉄会館のカルチャーセンターへ通うことが時代のトレンドであり、同会館は多くの市民に愛され、人々の記憶に刻まれてきたのです。「シャルマンフジ和歌山駅前グランピーク」が誕生するのは、
その近鉄会館跡地。
古来よりさまざまな文化に彩られてきた和歌山の歴史を受け継ぎ、新たな生活文化を紡いでゆくには
これ以上望めないロケーションといえます。

近鉄百貨店(平成28年4月撮影)